オリンピックである選手がインタビューで「努力は必ず報われる」と答えていたので、努力が報われた経験がない38歳のおっさんが感じる部分をメモしておこうと思う。

難病を乗り越えて

インタビューで知ったのだが、その選手はオリンピック直前に白血病を発症し、それを乗り越えてオリンピックの日本代表の座を勝ち抜いたらしい。これについては素晴らしいの一言で、こんなにも結果を残す人がいるんだと驚愕するしかない。おそらく練習もほとんど出来なかっただろうし、そういう経緯があるのなら、この言葉を出してしまう理由も分からなくもない。美談が好きなマスコミは殺到し、感動的な再現ドラマでも作成するのだろうか。

おそらく、自分が10代、20代前半の未来ある若者であれば単純に「そうだよな!努力は必ず報われるからおれも頑張ろう!」と思ったはず。ただ、おそらく元々の性格が悪いのか、公のインタビューでそんなこと言ってはダメなんじゃないの?と思ってしまった。そんな自分に自己嫌悪を感じる。

99%の努力は報われない

おそらく、99%以上の努力は報われずに終わる。少なくても、白血病で練習できなかった選手より多くの努力をしたにも関わらず、この選手に負けて一生に一度の晴れ舞台のオリンピックに出場できなかった多くの選手の努力は報われなかったはずだ。そして、99%以上の人間が、その報われなかった方に属しているはずである。

私自身も努力はしている方である(と一方的に思っている)が、努力が報われたと感じた経験はほとんどない。特にサラリーマン時代は、昼夜問わず努力に努力を重ね、結果も出したと思っていたが、一度も報われたことはなかった(もちろんサラリーマンとしては、上司に認められて、それに伴い報酬なども上がることが評価されたという事なので、私が結果を出したと思っているのは私が勝手に思っていることである)。それどころか、サラリーマン時代は努力すればするほど周りから疎まれていった印象を持っている。独立してからは、優秀な友人達、ビジネスパートナーのおかげで、ある程度結果もついてきているが、「努力は必ず報われる」と自信を持って言うレベルではない。

年を取り、社会人になると、報われなかった努力(結果を伴わない努力)はほとんど意味がない。この意味のなさの程度は、年を取れば取るほど強くなる。若いうちは、努力をした経緯が重要で、その努力は他の事をする際に役に立つと言うが、年を取ってしまうと、その努力の経緯を発揮する機会すらなくなっていく。

結局は報われるような努力をするべきであるし、そのためには、努力する場所と分野、タイミングを見定めなければならない。

今後

「努力は必ず報われる」、おそらく未来ある若者はこの言葉を信じて努力し続けるべきであるし、この言葉は正しいと思う。年を取ってくると、「努力は報われない」という現実を受け入れて、それでも努力を継続するか、「報われる」という基準を下げて満足するかどちらかしかないと思われる。

ただ、今の私の現状だと、報われる、報われないという感じではなく、努力して最新の技術トレンドについていかないと家族を守ることができないという点で努力し続けなければならない。好きな歌の歌詞に「人生の目的は死んでから問うべき」という事があるが、その通りなんだと思う。

そうなると、報われるために努力をするのではなく、ただ生きていくために、もしくは、個人的な好奇心を満たすために努力を続けているだけなのかもしれない。「報われる」事を目標にして努力すると、報われなかった場合、失望してしまうし、「努力」と「報われる」を因果関係で結びつけるのは辞めた方が良いのかもしれない。

何を言いたいかよく分からなくなってきたが、白血病を克服した上でオリンピック代表を勝ち取った選手には尊敬の念を抱きつつ、そのスポットライトがまぶしすぎてひねくれたおっさんがただただ文句を言っているだけかもしれない。。。

さて、10年後ぐらいにはさらなる経験を積み、考え方も更新されると思うので、その時点でこの言葉の意味をどう感じるか楽しみである。