四十にして惑わず
本日で40歳になった。とうとうこの時が来たなという感じである。 うっすらだが、父親が40歳になったときのことを覚えている。その時は、40歳というのは完全無欠の大人で、世界のすべてを理解した年齢という印象があった。実際に自分がその年齢になると、こんな不完全で不安定な人間が40歳でいいのかと常々不安に思っている。 高校生の時には、40歳にはそもそも生きているか?と思っていたが、なんかギリギリ生きていて、結婚して子どももいる。 山あり谷ありの人生(谷が9割だが)だったが、とうとう人生の折り返し地点まできてしまった。
孔子は各年齢において、どう生きるべきか指針を示している。
- 吾十有五にして学に志す
- 三十にして立つ
- 四十にして惑わず
- 五十にして天命を知る
- 六十にして耳順う
- 七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず
私は16〜17歳で、物理と数学を専門的に勉強しようと決め、大学は理学部に進学した。
卒業後就職し、30歳前後で、大きな組織に属して会社員として働いていても努力とその結果は報われることはないということを理解した。
36歳で退職し、個人として仕事を始め、40歳となる現在、この先の残りの人生でやるべきことを決めた。
今後50歳までの10年間、やるべきことに時間と資金を集中させて目的を達成したい。
高校、大学、大学院、社会人と進むにつれて、周りにいる人間の優秀度合いが上がってきた。たまに一緒に仕事をする30歳前後の方々は、もうすでに天命をしっているのでは?というレベルである。日々そのような人間と接していると、周りの優秀な人間達と比較してしまい、人生かなり遠回りをしてきたなと思っている。孔子が生きた時代で、「四十にして惑わず」は遅すぎるのでは?という疑問があるが、私の周回遅れの人生にはちょうどよいと感じている。
10年後、長男は11歳になる。そろそろ学に志す年齢に近づく。それはとても楽しみである。私自身は天命を知ることができるのか不安ではあるが、日々の仕事を粛々とこなした先にそれがあると信じて頑張るしかない。